NEWS

アートは、暮らしに必要なものでしょうか。

なくても生活はできます。

椅子のように座ることもできなければ、照明のように部屋を明るくすることもありません。
時計のように時間を知らせてくれるわけでもありません。

それでも私たちは、古くから暮らしの中に絵を飾り、花を生け、器を選び、書を掛けてきました。

そこには、機能だけでは満たすことのできない、もうひとつの「豊かさ」があるのだと思います。

空間をつくることは、自分を映すこと。

住まいには、その人の価値観が表れます。

どんな家具を選ぶのか。
どんな素材に触れるのか。
どれほどの余白を残すのか。

そして、どんなアートと暮らすのか。

効率や利便性だけで考えれば、壁には何もなくても構いません。

けれど、そこに一つの作品が置かれるだけで、何もなかった壁に視線が生まれ、
空間に静かな重心が生まれます。

それは単なる「飾り」ではありません。

自分が何を美しいと感じ、何を大切にしているのか。

アートを選ぶという行為は、自分自身の感覚を確かめる行為でもあるのです。

書は、意味と造形のあいだにある。

Hakureiが向き合っている「書」には、少し特殊な性質があります。

文字には意味があります。

しかし、書かれた瞬間、その文字は意味だけではなくなります。

墨の濃淡。
線の勢い。
筆のかすれ。
余白との関係。

同じ一文字であっても、書き手やその瞬間によって、まったく異なる表情が生まれます。

読めば意味があり、眺めれば抽象になる。

私たちは、その曖昧な境界に書の美しさがあると考えています。
すべてを説明する必要はありません。
見る人によって感じ方が違い、その日の気分によって見え方さえ変わる。

その余白こそが、作品と長く暮らすために必要なのかもしれません。

作品は、時間とともに変わっていく。

不思議なことに、アートそのものは変わらなくても、私たちの見え方は変化します。

初めて見たときには線の美しさに惹かれた作品が、数年後には、その言葉の意味を強く感じるかもしれません。

あるいは、旅や仕事、出会いや別れを経験したあと、それまで気づかなかった一つの線に心を動かされることもあります。

変わったのは作品ではありません。

作品を見る「自分」が変わったのです。

だからアートは、購入した瞬間に完成するものではないのだと思います。

同じ空間で朝を迎え、季節が変わり、そこに暮らす人が歳を重ねていく。

その時間によって、作品には少しずつ個人的な記憶が重なっていきます。

美しい未知と、暮らす。

Hakureiの作品には、明確な答えを用意していません。

一目見ただけでは理解できないもの。
言葉だけでは説明できないもの。
何度見ても、少し違って見えるもの。

私たちは、そんな「美しい未知」をつくりたいと考えています。

何もない壁に作品を一つ迎える。

朝の光の中で見る。
夜、静かな部屋で見る。
ふとした瞬間に目に入る。

そうして何年もの時間をともにするうちに、作品は単なるアートではなく、その場所で過ごした記憶の一部になっていきます。

暮らしを豊かにするものとは、必ずしも便利なものだけではありません。

立ち止まる時間をつくるもの。
想像する余白を与えてくれるもの。
自分自身の感覚に気づかせてくれるもの。

アートには、そんな役割があるのではないでしょうか。

Hakureiは、書という日本古来の表現を通して、現代の空間に新しい余白をつくります。

美しい未知と、暮らす。

その作品が、いつかその人だけの記憶へと変わっていくことを願って。